今回紹介する地域は、川上区です。佐分利小学校の校区では最も上流に位置し、学校からは、5.2km離れています。徒歩での通学は難しいため、この川上区と三森地区の児童はバス通学です。現在6名の児童が佐分利小学校に通っています。佐分利街道を川上の方面に上っていくと目につくのは、写真のような看板です。川上区の入り口に設置されており、区以外の人へのメッセージではなく区の人のためのメッセージというところが新鮮です。
裏には「気いつけて行きなあれよ」と方言で書かれています。味のある字体も暖かみを感じます。区に入ってすぐに新鞍神社があります。古くから祀られている神社のようで格式を感じますが、詳しいことは分かりません。社沿いに流れている新鞍川を遡ると大滝があるそうですが、今回はそこまでは行きませんでした。
佐分利川を少し遡ると区の中心地のようで、川上区公民館が見えてきました。ここは、平成6年まで佐分利小学校川上分校があった場所で、当時は区民がお金を出し合って建てた鉄筋2階建ての校舎があったそうです。この公民館あたりを中心として多くの支流が集まり佐分利川になっています。主な支流は、田井川、永谷川、岸谷川、鉱生谷(こびたに)川などで、それぞれの谷沿いに民家が広がっているため、佐分利川上流といってもさらに多くの集落の集合地が川上区と言えそうです。
そのひとつ、岸谷川を遡ると、そこには牛舎がありました。牛の鳴き声が、谷に響き渡っていました。川沿いの谷の部分は、岸谷川なら岸谷(きしだん)、鉱生谷川なら鉱生谷(こびだん)、田井川なら田井谷(たいだん)と呼ぶそうです。岸谷のさらに奥には今は廃村となった集落(宝尾集落)もあったそうで、過去にはさらに広い生活圏があったのだろうと思います。
鉱生谷(こびだん)の入り口あたりに、写真のようなバスの停留所がありました。佐分利川を遡るバスの行き先地の地名で、時々「川上」ではなく「子生谷」との表示があり、不思議に思っていましたが、おそらく「子生谷」表示の時は、「川上」からさらに鉱生谷沿いにバスが遡ってこの地まで行くのだろうと理解できました。読み方も分からなかったのですが、おそらく「こびだに」と呼ぶのでしょう。鉱生谷(こびだん)からなぜ子生谷になっているのかは不明ですが、もしかしたら鉱生谷沿いにあるバス停付近の集落が「子生谷」というのかも知れません。秋の気配が感じられる川上区の散歩を十分堪能することができました。